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by ふっふ
 
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アニメを見る視覚認知 (仮)
目がものを見る時、網膜が受け取った光を基本として、脳のなかで多くの領野が同時に活動をし、反応・認識していきます。
見て即座に色、輪郭、形が感覚信号に変換されます。
得られた像は皮質のニューロンに送られ、今まで貯蓄されている情報と結びつけて見たものついての解釈を生じさせます。

このことをすこし詳しく言いかえると、
 網膜が受け取った光は主に2つの経路に送られます。行為や運動の誘導ための背側経路と、知覚のための腹側経路です。
この2つの経路の前の一次視覚皮質には、眼の前に線分やエッジを掲示し、それを視野内で特定の傾きや位置においたときに反応するニューロンや、物体の色に反応するニューロン、物体の動きの方向に反応するニューロンがあります。このことは、外界の光景を構成する輪郭の特定の傾きや位置は、ニューロンの反応というもので成り立っている脳では早い段階で「記号化」している、また、身体に影響を与えているということになるのではないでしょうか
そして、その後の2つの経路はともに重要なものであり、互いに違う視覚的刺激に反応します。
前者の背側経路は無意識に行われているもので、標的に目だけ素早く動かす際や、手をのばす際、移動する標的を目だけで追跡する際などに反応するニューロンがあります。こちらは、集中して見ていない範囲でも、何かものがある、といったことがわかりますが、それが何なのか、などはわかりません。
後者の腹側経路では、手や顔といった部分や、一定の特徴を持つ複雑な視覚パターンに反応するニューロンがあり、周囲の明るさなどの環境が変化しても結果に変化が少なく、知覚に特化しています。 貯蓄されている情報と繋がっているのもこちらで、何が見えているのか、などを判断しています。



 アニメの画面は、「キャラクター」と「物」と「背景」で基本は成り立っています。(エフェクトとか、背景も印象だったり色々あると思うけど…)
アニメは主にで画かれており、その線が目に与える印象から「平面的」と言われることも多いです。
 古代エジプト王朝にみられる絵画や日本の浮世絵においても、「平面性」が指摘されることは絶え間ないですが、目に見える事象を描くことに精を出したヨーロッパでも、素描では線での描写を多くみることができますし、彫刻家の素描も線で行われる場合も多いです。「線で描く」ということは、画家が、頭の中や目の前にある描かれる前のイメージを全て平面として捉えていた、ということに直結するわけではない、ということです。
 画を描いていく場合、画は「点」がまずあり、「線」、「面」そして「立体」の順序で空間を構成していきます。
しかし、認知の面からみていくと、まず「4次元」であり、続いて「3次元」、「2次元」と次元が下がっていき、次元が下がるにしたがって、見ることが高度になっていきます。
線で立体を描くことは高度ということ。また、目で「線」を見ることは、「立体」を捉えることより高度、難しいということになります。


 漫画やアニメでキャラクターを見た場合、大抵は、日常生活である人を見て、それが誰なのか分かることと同じように、そのキャラクターが何なのかを把握します。知らないキャラクターであっても、名前はわからなくても、そこにキャラクターがいる、ということはわかる場合が多いです。
 物と物の境目の輪郭も脳によって認識され、物と物を分離していると把握できていますが、これは人間の生き物としての生存に深く関わってきたものです。物の輪郭は「そのものである」という認識により、その周りのものと区別されているように見えているので、意識をすればするほど、物の周りには強調の「線」を感じることができます。普段の生活であれば、目に見える線は、何かと何かを区別するものとして見えているものが多いため、目に入りやすいものとなっています。
アニメの画面の中の線は、そういった観念や、他の色やコントラストの関係で認識されやすいという部分が重なり、目に入りやすくなっています。

 錯視の分析にある、錯視に惑わされない人々は、惑わされる人々の持っている固定観念や社会通念を持っていないからだという結論は、 固定観念や社会通念が、目に見えるものを目に見えたままに描いていく、ということの邪魔をしているということにつながっていきます。
 認知したものは頭の中で、ある一定のイメージとして扱われるので、絵を描く際に、そのイメージがあることは、描きたい次元にまで持っていくことの難易度を増す場合があります。
 例えば、キャラクターAを描こうとした際に、私達の頭の中にはキャラクターAが浮かび上がるが、それは、友人や家族の顔をまるで写真のように皺まで克明に思い出せることが大抵難しいことが殆どの場合できないように、自分の中の、多くの場合は正面性が強いイメージとしてのキャラクターAになります。
また、キャラクターAが描かれた絵を模写する場合でも、キャラクターAを成り立たせている線分を、前述したキャラクターAであるというイメージや、錯視や、線分の長さの誤差、傾きの誤差を、間違わずに正確に模写することは難しいこととなります。
(簡単な社会通念でいくと、画面の片方が「上」で片方が「下」と決めるようなもの。)



ロシアの画家、イリヤ・レーピンの老婆の素描において、老婆の左腕はほぼシルエットのみで描かれています。
これは、彼女を描いた際のレーピンから見た老婆の左腕のシルエットということになります。
絵を描くときに透視図法を用いて描くと、基本的には一つの点から見た風景、対象物を描くということが基本的なこととして求められます。
その中では、画面を撮っているというカメラを仮定すると、カメラが、描きたい対象物に、どの程度の傾きで接しているか、地面はどの程度の傾きか、そういうことがまず描かれます。
イリヤ・レーピンの素描は、その透視図法をシルエットで捉えているという良い例です。
そこでは、見えている範囲の中で、その物はどの程度の大きさや範囲、形を占めているかということが捉えられています。アニメでは、「シルエット」を重視した描き方を重要視している人もいます。
絵の練習において、デッサンとは「3次元の立体を頭の中でどのように捉え(どのように見て)、2次元の紙の上に表現するかという訓練」 であって、アニメではこれを線でなします。
こういった、線の集まりを立体として、キャラクターとして認知するということが、キャラクター・アニメーションの始まりとなります。
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by breakmag | 2013-02-26 14:43 | メモ


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