イラストサイト

by ふっふ
 
カテゴリ:メモ( 30 )
 
アニメを見る視覚認知 (仮)
目がものを見る時、網膜が受け取った光を基本として、脳のなかで多くの領野が同時に活動をし、反応・認識していきます。
見て即座に色、輪郭、形が感覚信号に変換されます。
得られた像は皮質のニューロンに送られ、今まで貯蓄されている情報と結びつけて見たものついての解釈を生じさせます。

このことをすこし詳しく言いかえると、
 網膜が受け取った光は主に2つの経路に送られます。行為や運動の誘導ための背側経路と、知覚のための腹側経路です。
この2つの経路の前の一次視覚皮質には、眼の前に線分やエッジを掲示し、それを視野内で特定の傾きや位置においたときに反応するニューロンや、物体の色に反応するニューロン、物体の動きの方向に反応するニューロンがあります。このことは、外界の光景を構成する輪郭の特定の傾きや位置は、ニューロンの反応というもので成り立っている脳では早い段階で「記号化」している、また、身体に影響を与えているということになるのではないでしょうか
そして、その後の2つの経路はともに重要なものであり、互いに違う視覚的刺激に反応します。
前者の背側経路は無意識に行われているもので、標的に目だけ素早く動かす際や、手をのばす際、移動する標的を目だけで追跡する際などに反応するニューロンがあります。こちらは、集中して見ていない範囲でも、何かものがある、といったことがわかりますが、それが何なのか、などはわかりません。
後者の腹側経路では、手や顔といった部分や、一定の特徴を持つ複雑な視覚パターンに反応するニューロンがあり、周囲の明るさなどの環境が変化しても結果に変化が少なく、知覚に特化しています。 貯蓄されている情報と繋がっているのもこちらで、何が見えているのか、などを判断しています。



 アニメの画面は、「キャラクター」と「物」と「背景」で基本は成り立っています。(エフェクトとか、背景も印象だったり色々あると思うけど…)
アニメは主にで画かれており、その線が目に与える印象から「平面的」と言われることも多いです。
 古代エジプト王朝にみられる絵画や日本の浮世絵においても、「平面性」が指摘されることは絶え間ないですが、目に見える事象を描くことに精を出したヨーロッパでも、素描では線での描写を多くみることができますし、彫刻家の素描も線で行われる場合も多いです。「線で描く」ということは、画家が、頭の中や目の前にある描かれる前のイメージを全て平面として捉えていた、ということに直結するわけではない、ということです。
 画を描いていく場合、画は「点」がまずあり、「線」、「面」そして「立体」の順序で空間を構成していきます。
しかし、認知の面からみていくと、まず「4次元」であり、続いて「3次元」、「2次元」と次元が下がっていき、次元が下がるにしたがって、見ることが高度になっていきます。
線で立体を描くことは高度ということ。また、目で「線」を見ることは、「立体」を捉えることより高度、難しいということになります。


 漫画やアニメでキャラクターを見た場合、大抵は、日常生活である人を見て、それが誰なのか分かることと同じように、そのキャラクターが何なのかを把握します。知らないキャラクターであっても、名前はわからなくても、そこにキャラクターがいる、ということはわかる場合が多いです。
 物と物の境目の輪郭も脳によって認識され、物と物を分離していると把握できていますが、これは人間の生き物としての生存に深く関わってきたものです。物の輪郭は「そのものである」という認識により、その周りのものと区別されているように見えているので、意識をすればするほど、物の周りには強調の「線」を感じることができます。普段の生活であれば、目に見える線は、何かと何かを区別するものとして見えているものが多いため、目に入りやすいものとなっています。
アニメの画面の中の線は、そういった観念や、他の色やコントラストの関係で認識されやすいという部分が重なり、目に入りやすくなっています。

 錯視の分析にある、錯視に惑わされない人々は、惑わされる人々の持っている固定観念や社会通念を持っていないからだという結論は、 固定観念や社会通念が、目に見えるものを目に見えたままに描いていく、ということの邪魔をしているということにつながっていきます。
 認知したものは頭の中で、ある一定のイメージとして扱われるので、絵を描く際に、そのイメージがあることは、描きたい次元にまで持っていくことの難易度を増す場合があります。
 例えば、キャラクターAを描こうとした際に、私達の頭の中にはキャラクターAが浮かび上がるが、それは、友人や家族の顔をまるで写真のように皺まで克明に思い出せることが大抵難しいことが殆どの場合できないように、自分の中の、多くの場合は正面性が強いイメージとしてのキャラクターAになります。
また、キャラクターAが描かれた絵を模写する場合でも、キャラクターAを成り立たせている線分を、前述したキャラクターAであるというイメージや、錯視や、線分の長さの誤差、傾きの誤差を、間違わずに正確に模写することは難しいこととなります。
(簡単な社会通念でいくと、画面の片方が「上」で片方が「下」と決めるようなもの。)



ロシアの画家、イリヤ・レーピンの老婆の素描において、老婆の左腕はほぼシルエットのみで描かれています。
これは、彼女を描いた際のレーピンから見た老婆の左腕のシルエットということになります。
絵を描くときに透視図法を用いて描くと、基本的には一つの点から見た風景、対象物を描くということが基本的なこととして求められます。
その中では、画面を撮っているというカメラを仮定すると、カメラが、描きたい対象物に、どの程度の傾きで接しているか、地面はどの程度の傾きか、そういうことがまず描かれます。
イリヤ・レーピンの素描は、その透視図法をシルエットで捉えているという良い例です。
そこでは、見えている範囲の中で、その物はどの程度の大きさや範囲、形を占めているかということが捉えられています。アニメでは、「シルエット」を重視した描き方を重要視している人もいます。
絵の練習において、デッサンとは「3次元の立体を頭の中でどのように捉え(どのように見て)、2次元の紙の上に表現するかという訓練」 であって、アニメではこれを線でなします。
こういった、線の集まりを立体として、キャラクターとして認知するということが、キャラクター・アニメーションの始まりとなります。
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by breakmag | 2013-02-26 14:43 | メモ
 
画面の大きさと、見えるときの大きさ
前の記事で、「映画館とテレビは画面の大きさが違い、映画館は前で見るほど歪みがつき、離れるほど小さく見える」ということを書きました。
(おぉ…当たり前のことですね)

「画面実サイズと視距離が視覚認知に与える影響の検討
-ディスプレイの物理的な大きさはテキスト読解に影響を与えない-」
http://www.hbf.or.jp/grants/pdf/g/20-g-ichino.pdf

という研究結果を見つけました。

大きさの違う、10センチのディスプレイと110センチのディスプレイ(1:11)を用意して、
「観視角度――部屋の特定の位置から見たときに網膜にうつるイメージのサイズ――が同じになるように観視距離を調整した」
とあるのは、ディスプレイの大きさは違うけれど、目に見える大きさは同じになる距離をとったってことでしょうかね。

この実験は、文章(文字)における実験で、
画面の大きさが違っても、目に見える大きさが一緒だったら内容の理解や思考に差はほとんどでない、というようなことらしいです。

「映像や画像メディアの場合、大きいディスプレイはユーザを自己中心座標系の視点に偏ら
せ、小さいディスプレイは外部参照座標系の視点に偏らせることを示した先行研究の結果
と、本実験のテキストメディアに関する実験結果が大きく異なる結果となったことは興味
深い。」
ということから、これとは別に映像や画像での研究もあるらしいです
そっちの結果も書いてあるけど、ちょっと難しい表現ですね…

「大きいディスプレイは自己中心座標系の視点」「小さいディスプレイは外部参照座標系の視点」というのは、視覚のことなのか、受け取った感覚のことなのかわかんないのですが、両方(視覚と感覚)に当てはまるのですかね。」
こっちのも読んでみたいです
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by breakmag | 2012-09-28 00:35 | メモ
 
源氏物語に見る紫式部やその頃の考え方
パン屋でのお会計の時間とかで思うんですが、こっちの時間でもあり、向こうの時間でもあるわけなんですねぇ、
私はバイトをするまで、あまりほとんどぜんぜんそういったことを考えたことがなかったので、して良かった気がするめます。
先生も授業をするだけの人でなく、お店の人も客の応対だけが仕事じゃないというような、見えてないところで勿論生活してらっしゃるんですよね。さすがにこれをこの歳で意識するなんて…しないよりは、ましになったのでしょうかね。まだまだ全然意識不足なんですが!


授業で、平安時代の絵の価値観について源氏物語に書かれたところがあるので少し読みました。
どうやって取り上げたらいいのかな、こういうのって…と思い、要約みたいにしてみました。
よくわからない部分もあると思いますがすいません。

①『帚木』(ははきぎ)
内容:男の人たちが夜集まって、「良い女とは!」とか、今思えば理想の女との破局経験談(「あーぁ、あいつ、今思えば良い女だったのに…」みたいな)を話している

その中の、左馬守という人の発言

「指物師(木の職人)…
一時的な飾り物で、きまった形式を必要としないものは、オシャレな形にしたりして面白いと思わせて、次から次へと新しい物があるのが良いと思わせてくれるようだ。
本当にそれがなければならない、必要な道具というような物を上手にこしらえ上げるのは名人でなければできない。

絵所(絵描き)…
招かれた所で即興で絵を描く時は、非写実的な蓬莱山や荒海の大魚、唐にしかいない恐ろしい獣の形を描くなど、勝手放題に誇張したもので人を驚かせることが目的なので、それは本物に似てなくてもよい。
普通の山とか、水の流れ、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を、写生的に、且つ面白く混ぜて描き、
近くにあるあまり高くない山を描き、木を沢山描き、静寂な趣を出したり、あるいは人の住む邸の中を忠実に描くような時に、上手と下手の差がよくわかる

字…
技巧を用いたものなど、ちょっと見がおもしろいようでも、
二度目によく比べてみれば、丁寧に描いた字のほうがよく見える

男女の愛…
技巧で面白く思わせるような人には永久の愛が持てない」

②絵合(えあわせ)
「どっちの絵巻が良い絵巻でしょう!」という、作品対決をグループ戦で行う話

ある女の人が、「小説を題材にした絵が一番面白い!」と、良い小説の内容を絵にさせる
  なんで小説が題材の物が面白いかというと、「見る人が既に心に作っている幻想を、絵に加えてみることによって絵の効果が倍加されるから」

「竹取物語絵巻」について
(提出グループ)「竹取の翁と同じく古くなった小説であっても(この頃でさえ、竹取物語は「古典的な価値の定まった小説がもと」と書かれるくらい、古典的な価値が定まっていたらしいです。)、思いあがった主人公のかぐや姫の性格に人間の理想の最高のものが暗示されててよい」
(反対派)「空想気味で、非貴族的な話。車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのが嫌」

「空穂の俊陰絵巻」について
(提出グループ)「暴風と波に弄ばれて、異境を漂泊しても、芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が竹取物語より遥かに良い。絵も、日本と外国との対照がおもしろく扱われている処が優れている(おそらく、日本の絵は日本のタッチで、外国の絵は中国のタッチで…と、デフォルメみたいなものが違っている?)」
 ちなみに、この絵巻のもとの話は「新作として近頃世間の評判がいいもの」で、絵巻の装飾は「見た目のにぎやかで派手」なものだったらしいです。(=最近のもの)

「伊勢物語絵巻について
 これは、見た感じが面白く刺激的で、宮中の様子も描いてあったそうです。
 また、現代(源氏物語が描かれていたころ?)に縁の多い場所や人が写されていたらしいです。」


①の話しのほうは、AとBで、Aは色々凝った装飾をされているもの、Bは一見質素だけれど強固なもの、というようなものを比較しているようで、Bの方が良い、と言っているけれど、
それはけっしてすべてAを否定しているわけではない、というようなところが面白かったです。
また、話している内容も、今でも普通に話すような内容なのが面白いな、と思いました。

②の話のほうは、「(よく知られているような)小説を題材にしたもののほうが面白い!」というのが、なるほどな~と思えて面白かったです。

また、話にでてくる絵巻の中身も、それについて話している人の言葉も面白いな、と思いました。

伊勢物語絵巻とかは、現代にゆかりのおい場所や人が描かれていた…っていうのは、ロケ地が近いみたいな感じで、見ている人はそこで気分が盛り上がったりしそうだなぁ、とか
空穂の俊陰絵巻の「芸術を求める心が強くて、しまいには外国にも日本にもない音楽者になった」あらすじとか、それを「良い!」って言ってるとか、面白いなっと。
この間、先生のコレクションの水墨画を見せてもらったら、遊んでるような内容のものなんですが、日本と中国の舞台の違いで、描き方変えてて、「空穂の俊陰絵巻の絵の対照っていうのはこういう感じだったのかな~」と思いました。
それ自体を様式みたいなところまで持っていってあるならば、それ自体はそこまで面白いことではないかもしれないのですが、平安時代の絵巻でタッチの対照があったっていうのは、そういう遊び心のある人がいたんだなぁ、面白いなぁ、と思いました。
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by breakmag | 2012-08-23 15:22 | メモ
 
おおかみこどもの雨と雪 と画面の大きさ
*おおかみこどもの雨と雪

アメとハナの別れのシーン

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引きとめるハナの手と、アメの去っていくところが、「上に!上に!」ってグングンしてて、だけど画面をはみ出さないで、抑制を感じられるところがすごいなぁって思いました
一番前の席で見たのですが、頭が動いているのがわかりました。

アメはそのまま山にのぼっていくのですが、その山が、水墨画の山を思い出しました。
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縦長の画面は広がりがむずかしい、モチーフも難しい、と。そして、こういう水墨画は、それを上手く使っていると前に先生が言っていました。
この絵は、横約1mくらいで、縦が1.5mくらいで、目の前にあると、「ひゃー」と思いました。それは模本でした。
絵の地平線の高さが目線と近づくと、山の上を見るとなると、顔ごと上を見上げるので、「高いなー」と見上げているようになります。
また、この絵は、ところどころに人がいたり、岩とか木以外にも、「こんなところに人がいる!」みたいな感じで見る場所があって、視点の移動みたいな体感的なアトラクションを感じます。
画面の形と、画面の内容

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さいごの方の、駐車場でのアメとハナの別れの時の
ハナを俯瞰でとったところの、駐車場に空が映っているのが面白かったです
これは、視覚的な面白さなんですかね~。

井上さんの雪山滑ってるところとか、空中に浮いてる時間がもう少しあったら、たぶん、「うわ、気持ちいい!」って思う時間がその浮いてる時間にくるのかな、と思ったのですが
そういうのをいれないのは、わざとなんだろうなぁ、と思いました

そういう気持ちよさみたいなものを追いかけるんだとしたら、もしかすると、山の中を走っているところは、横からじゃなくて、走っている後ろから追いかけていってるようなシーンになるかもしれない
だけど、それは、そこを見ている時、見ている人はきっと、その刺激で頭がいっぱいになっちゃいそう

最近気になっているのは、視覚と画面と空間の感じ方とかです。
どうして空間を感じるのかな~、空間の感じ方のちがいってなんだろう、とか、
どうやって空間を感じさせてるのかなー、とか。
それで、テレビと映画館とかで大きい画面で見るっていうのは、全然違うんだなーと思いました。
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これは、映像だけじゃなくて、本とかでもあると思います。
赤ちゃんにとっては、おとなの人間は、普通の人間が数メートルに見えるっていうし。
本だけじゃなくて、アトラクションみたいなものも…
東京ミッドタウンでやるサントリー美術館主催の「おもしろびじゅつワンダーランド展」やディズニーランドっていうのは、
作品の大きさを変えたり、作品の空間を変えて、人が自分の大きさを変わったふうに感じたり、自分の空間に作品が入ってくるようなところが面白いっていうのもありそう
快楽的な要素にも思えます。
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by breakmag | 2012-07-27 15:04 | メモ
 
おおかみこどもの雨と雪 
おおかみこどもの雨と雪 観てきました

アニメハイジの素直さや素朴さ、山での生活、ちょっとした引きこもり感と、
アニメ母をたずねて三千里の、マルコの成長と一人立ち、大人とこども、を思い出させるような感じを得て、
また、何回も出てくる空や雲のスライドもそこらへんの印象と重なったかもしれません。
最後の駐車場に立つハナを遠くから俯瞰で写しているところで、駐車場の水たまりに空が映っているのが、三千里のOPの水たまりに空が映り込んでいるのを思い出して面白かったです。そこのアップも、ハナの後は駐車場だけなのに、水たまりに空が映ってて、画面の上に空がきてて、面白かったです。
ハナがハイジで、アメがマルコかな、と。ハイジがマルコを育ててる感じ。山で迷子になったり…。

ハナたちの目が離れているのも、小田部さんのキャラクターを思い出させてくれます

全然関係ないと思うんですが、宮崎さんは「10歳くらいの子のために」と千と千尋を作ったけど、もう、あの映画を見ていると、子供も若者も、ぐずで間抜けだと責められている気がして、
そこまで言うのは、そういう子供じゃなくて、ぐずで間抜けな大人をたくさん見たからかな、と思って
「どうしてこんなぐずで間抜けな大人になるんだ!」ってなると、子供のうちにそうならないようにしないと、ってなって、あぁいうような内容になるのかな、と。
千と千尋を10歳で見た私は、すごい怖かったわけです。
途中からは千尋の話だと思うんだけど、途中までが、最初のほうが、怖い怖い。

ハイジも三千里も、子供の考えが甘かったりするんだけど、あまり、嫌味や催促は感じない…

ももへの手紙、ももは同じくらいの年齢の、また、人見知りで無愛想になってしまうももですが、千尋と少し似ている。でも嫌味は感じない。
むしろ、なんだかそこにも良さを見出している…?

虹色ほたるは、もう、大人の世界な気がする
子供への幻想ではないか、と思うのです
しかし、その中で、さえちゃんの弱さが杖になって、子供と大人の世界をつないでいる気がします

おおかみこどもは、ぐずで間抜けだという若者を素直な感じでかいてる気がする。ハナが本とか沢山読んで勉強家なのが良いと思います。
子供も、なんだか、子供ってこういうかわいいけど大変なものじゃないの(そして、大変だけど、結局はかわいいものじゃないの)、みたいな感じの素直な感じが面白かったです

時をかける少女を見たとき、これまた真琴と同じくらいの年齢だったんですが、私はすごい、バカにされてるの?!とか思ってしまったんですが、
そんなことはないようで、もっと素直なものなんですかね。
真琴が「バカ(細田さんがインタビューで表現してた)」なことよりも、17歳くらいの女子高生が恋に落ちるっていうのがすごいいやだったんですが、きっと、自分が思っているより、それってマイナスなことじゃないんでしょうね。それを観るのも。

最近観た映画での親子
・マラソン(韓国) 母から自閉症の子への束縛。
「自分だけしかいない、自分がどうにかしなくては」と、自分を追い詰め、子に執着や束縛が激しい。
映画だと自閉症の子供だけど、これは自閉症の子だけじゃなく、どんな子でも、こういう親になる人もいると思う。
ハナの「もう山には行かないで」っていうあたりが、この映画を思い出しました

・レボリューショナリーロード(アメリカ) 
妻と夫、それぞれの人間性の未熟さ。

・ダージリン急行(アメリカ)
母親は、子を生むが、別の一人の人間であるということ。子の親離れ。

二つとも、親、母も父も、子とは別の人間である、ということを含んだ映画だなぁと思います
別の人間、であるというのは、そこに夫婦とか血縁の仲とか、そういうことを越えて、まず別の人間である、というような。
そこの繋がりは、愛情とか、そういうもので繋がっているのかもしれない、と思うと、おおかみこどもはこの2つの映画とは好対照(?)な感じかもしれません。

・塔の上のラプンツェル(アメリカ)
これは、EDについて時々思い返しては考えているんですが、やはり今の私はこのEDにはあまり納得がいきません。
ラプンツェルがお城で政治を行って、沢山の人が幸せに生きるのだったら、もっとその生活について短時間でももう少し入れたほうがよかったと思います。
ラプンツェルがどうしてお城に戻ってきて政治を行っているのか、お城で政治を行うことが、塔の上にずっと住んでいたラプンツェルにとって良かったのか…?
人びとに愛されていて、近くにラプンツェルがいることが、ラプンツェルにできることなのだろうか…
そうか、と思うと、ラプンツェルは自立が描かれているようで、描かれているのか、なあなあな処が納得いかないのかもしれません。
塔の上から出ることは、自立ということではなく、ただ単に、塔の上から出る、ということだったら、いっそ旅にでも出てほしいのですが、好きな人と自分を大切にしてくれる人がいたら、その場所から離れることよりも、そこで生きるほうが素晴らしいことなのかもしれないですね。
これは、月光条例のシンデレラに続くかもしれません。

おおかみこどもの最後、ユキも中学が寮生活で家を離れ、ハナが居間にいるシーンがあったのですが、そのなんとも寂しい感じのこと。
子供がいなくなったから、というよりも、ハナのやるべき、ことがなくなったからのようにも見えます。
でも、きっとハナさんは強そうだし、何かしらすることを見つけるんだろうなぁ、と思えるのが、良いところだと思います。でも、あの土地を離れるだろうか、と考えると、それは微妙そうだなぁ、とも思うんですが、どうでしょうか。アメが山にいるからなぁ。
苦しい場面も多くなりそうな親子の話だけど、痛いけど、レボリューショナリーロードとかマラソンみたいにどろどろにならない、させないのがすごいなぁ、と思いました。


なんて、感情的!
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by breakmag | 2012-07-26 22:48 | メモ
 
布絵本
こんにちは、出産なさるバイト先の方におくりものをしました〜

先日、「絵本ってすごいんじゃ…!」って思ったので、「何か絵本をあげたい…!」と思いあがり、「絵本あげます!」と言って、どんなのがいいのかなぁ~とヒヤヒヤ考えていました

絵本かぁ、作れたら作りたいなぁ、と思うも、絵本を見れば見るほど、どんなのがええのかー、と思うんですよねぇ。近くに小さい子もいないし!

絵本、作るとしたら、生まれる前にあげるし、生まれた子もなるべく早く使える?ものがいいな〜
生まれてすぐはぼやけてて、微かな色じゃないと認識できないらしい〜
紙だとよれたりしちゃうかもしれないし、角が擦れて怪我になっちゃうかもしれないし、読みにくそうだなぁ〜
色々な質感があるのは興味深いんだろうなー
鏡とかついてたら良さそうだなぁー

って考えながら探してたら、布絵本っていうの種類があるのを知りました


[Snoozebaby スヌーズベビー社]ソフトブック
4300円
おしゃぶりしたりにぎったりできる四角いデッパリを沢山つけているようです
触ってないけど、触り心地がよさそうです


[Homegrown ホームグロウン]ビーンズインポッドラトル & ロールセット
1600円
えんどう豆のさやの中に3つの丸いのが入ってて、1つずつ中に入っている物が違うので鳴る音が変わります
これは布絵本じゃないけど、布絵本もこれも、文字がなかったら似ているな〜と思いました。絵本の格好してるか丸いかの違いかなぁ、と。


[Ficelle フィセル - BOBO ボボ]ドーナツガラガラ1260円
にぎって振ると、音がするようです


フィッシャープライス ベビーどうぶつえん どうぶついっぱい!おでかけ布えほん
小さめのものですが、開いていくうちに、きりんなどが出てきて、きりんはたてに2面になります
ミラーも付いています
非常に安価ですねぇ
すこし、色が薄めかなぁ?

http://www.ikea.com/jp/ja/catalog/products/50195774/
IKEAで売ってる布絵本だそうです。
フィッシャープライスのについで安めの値段ですね。
けっこう絵柄の配置が面白そうです。


ebulobo エブロボ くいしんぼう ルールー 仕掛けいっぱい絵本  布絵本
ebulobo エブロボ くいしんぼう ルールー ぬいぐるみセット

この2つ、見ていてとても胸踊ります。
でっかいし、カラフルで、なんだか面白いな〜と
でも、色合いがちょっときついですかねぇ?


あとは、はらぺこ青虫の布絵本もあって、それもいいな〜と思いました
エリックカールさんの色がとっても綺麗ですね!
お月さまとって!みたいなのも布絵本じゃないけど面白かったです。はしごの長い描写とか。


あげたのは、荒井良二さんの「空の絵本」と、フィッシャープライスのどうぶついっぱい!おでかけ布絵本っていうのです。
布絵本は赤ちゃんは気に入らないかもしれないけど、空の絵本はお母さんも綺麗なのを楽しめるかなぁ〜と。
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by breakmag | 2012-07-19 01:02 | メモ
 
矯正
ただいま歯の矯正中なんですよ

親知らず、上2本下2本と
顎に対して歯の体積(というかハバ?)が大きいというので、さらに、上2本下2本の計8本を抜きます

現在、上の親知らず2本と上の歯2本、下の歯1本を抜き終わっているので、喜ばしいことに残り3本になりました

私は痛みに弱いほうであると思うのですが、歯を抜いたあとは2,3日頭痛があり、痛みどめを飲んでも何かに集中することはなかなか厳しいです

薬を飲むのも苦手であったのですが、だんだん上手くなってきました。
最初のうちは、飲もうとしても飲めなくて、口の中で溶けて苦くて出したりしてたので、メイプルシロップをスプーン1杯くらいなめて、それと一緒に飲みこんだりしてました
歯を抜いたうちの1回は、薬を飲むのがいやで痛みどめも抗生物質も飲まなかった時があったのですが、
その反動なのか、次から上手く薬を飲めるようになりました。

15日の金曜日も歯医者にいったのですが、バイトがあるためいつもより1回分を短い時間ですませてもらい、歯は抜かずにおわりました。
口の中の上のほうで、上の奥歯を中に引き込むものを付けてもらっています。

歯も抜いてないし、今回は軽いな~と思っていたのですが、右の奥歯と左の奥歯が引っ張られてるわけで、何かを噛むと痛みがあり、噛み切ることがなかなかきついです。

歯が痛いと、食べるのがすこしきついです。
前歯が痛いとかぶりつくのがきつく、奥歯がいたいと噛みくだいたり、細かくするのがきついですね。
だから、やわらかいものを食べるのがいいです

麺類といっても色々種類がありますが、スパゲッティのイメージはやわらかいものに入っていました。
なので、今日はお昼にスパゲッティを食べました。結論として、きつかったです。
スパゲッティ、やわらかいものもあると思いますけど、けっこうしっかりとしています。
奥歯で細かくできないままに飲みこむと、麺がのどにひっかかります。げほげほ。苦しいです。

うどんは、やわらかいものであれば食べやすいです。

そして、お米
お米は食べやすいです。噛まなくても、やわらかくなって。
抜いて空いてるところに入ってきますが、まぁそれは何を食べてもはいるので、
お米はすばらしいです。

パン
パンは、細かくちぎったり切ったりして、やわらかい部分を食べるといいです
外側のパリパリしているようなところは硬かったりします。


食べてて痛みを感じるときは、
「麦は踏まれて強くなる!筋肉も筋肉痛をともなって強くなる!歯も、きっとこの痛みで強くなる!」と思いながら笑顔で食べると、なんだか自分の気持ちも強くなった…気がします。
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by breakmag | 2012-06-17 01:21 | メモ
 
ウチワとか
これもまたいまさらなことかもしれないんですけど、内輪を人は求めているのかな、と最近思いました。
求めているというか、楽しめるというか
それが広がれば広がるほど有名になるという感じなのでしょうか

知らないものを知ろうとする好奇心、そんなところが関係しているのでしょうかね。
知らないものを知る、ということは、どんなことでも、大概は脳には刺激になるんでしょうかね、
たとえば人物の、今まで知らなかった一面
知らない世界で生きる、知らない人の人生
どうやって作っているかわからなかった物の作り方
最近起こったこと

こんなこと考えているあたり、自分でも自分のこと若い気がすると思うのですが(大人になったらこんなこと、どうでもいいんじゃない?)
こういうものでありふれているなぁ、と。

あと、アートは自覚的行動で、芸術作品は他社評価、なのかなぁ、とかなんとなく。

ロボットが基本的な仕事をこなしてくれるようになったら、人間のお仕事はどうなるだろう~
「人が作る料理のお店!」とかが売りになるのかなぁ、高級なお店かなぁ
そうなったら、ロボットが仕事をしても、仕事はするんだぁ
お金がなくてもご飯を食べれる世界になったら、高級食材は需要が高まるのかなぁ、結局、今食べているような食事に落ち着くのかなぁ

朝、アイフォンのアラーム音で起きるのも、アイフォンで起きるのも、目覚ましのアラームで起きるのももううんざりなので、パソコンのタスク機能で、目覚まし動画で起きられるか実験中です。
朝起きる時間に、パソコンが起動して、指定した動画を再生してくれる、という、目覚まし動画。明日の朝こそ成功なるか!

授業で古文を先生が読んで、生徒が口頭で要約する(文は配られている)という場面があったのですが、
要約も苦手、考えてることをしゃべるのも苦手で、ぜんぜんできませんでした
これは、人としゃべる以外には、良くならないのかもしれないですね。独り言でもよさそうだけど…。
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by breakmag | 2012-06-15 22:03 | メモ
 
L字ドライバー
L字ドライバーというものを使いました

とても素晴らしい道具だと思いました…

普通のドライバーだと動かないような固いところでも、このL字ドライバーなららくらく動かせる!
電気ドライバーは重いしごつごつしてるしコンセントも繋がないといけないけれど、これはコンセントいらないです。
手が入りにくいようなところにも、横からひっかけてまわせます。
お父さんと机を組みたてながら、「L字ドライバーは天才だ」と話しました。

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このL字ドライバー、使い方は、ネジに合った金具を先につけて、まわすだけ。ネジを締めたりゆるめたりすることが小さい力で行えます。

この、まわす、というところがなかなか難しいです。
周囲のまわす範囲に障害物がなければクルクルとまわせばいいのですが、
たとえば壁があるなどして、1周することができない場合、限られた範囲の中でしかまわせなくなります。
だけど、このL字ドライバー…ネジからドライバーをはなさずに、最初の位置に戻ることができて、またまわせます

もし、ネジを緩めたりすることがあるときは、使うのもいいのではないかな、と思いました

床にあおむけになって、顔の横あたりにくるネジをいじっていた時に、何回か落とすたびに床にドライバーが勢いよく落ちていて、顔の真上では使わない方がいい、ということがわかりました。
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by breakmag | 2012-06-13 21:58 | メモ
 
鳥羽絵
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江戸時代流行ったものらしいです

手ぬぐいとか、扇とか、日用品に描かれ、使われていたよう。


リンク:江戸のまんが「鳥羽絵(とばえ)」と「耳鳥斎(じちょうさい)」


それを描いていた中に、狩野派の絵師の、表に出られない弟子で、隠れて町絵師として描いていた人もいたそう。
狩野派というのは、お金持ちの人達に向けて作品を制作していた、由緒ある伝統的な絵を描いていたグループで

幼少期から、絵の学校みたいなのに入って、小さい子だったら、ただ線を引く練習から、
狩野派の絵の基本が教科書みたいな本になってて、それをたくさん模写(オッケーが出るまで)していくという勉強をして、絵の勉強としていたらしいです

江戸時代の絵を制作も、アニメみたいな感じで分担作業で、線を引く人(構図を考える)、色を塗る人、とか分けられてたようです。
小さい頃から絵の勉強をしていっても、表に出られるような(名前の出る)仕事をする人は多分少なく、自分で絵を描いて発表できる場も、狩野派という一門の中にいたらなかなかできなかったのか、
鳥羽絵というものを描いていた人達が出た…らしいです

どうやらその人達は狩野派からは破門させられ、狩野風の絵も描くな!と言われたよう。ひょぇー


今日図書館で課題の本を探していたら、そういう本が合って、面白かったのでメモ。
課題の本は見つからず!

虹色ほたるの四肢にちょっと似てる気が。
ケンちゃんとか、さえちゃんとか、手足が細くて、胴があって、手(指)もこんな感じだった気が。顔はこんなつぶれてないけど。
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by breakmag | 2012-06-06 21:07 | メモ


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